露の洗脳教育・歴史消去の文化的背景は、中国とそっくりやけどね。
KamiGaleev氏のツイッター。
見逃せないね。
女子大生起業家@SeanKy_
ロシア・ツァーリはモンゴル支配の下っ端として頭角を現した経緯がありツァーリ統治は東方専制君主の影響を受けているというのが通説(※次はその通説に反論する論文 https://hamada.u-shimane.ac.jp/research/organization/near/41kenkyu/kenkyu_sp3.data/hokutouSI3_6_Kuryuzawa.pdf)で、根拠レスではあるがそれが原因で国というものに対する考え方が中露で似てる可能性はある。
もうちょっと言うと、中露が共産主義の二大大国になったのは、両国とも共通の起源を持つ東方的専制君主の独裁政治に慣れていて、その後の共産党独裁を「国とはそういうものである」として受け入れる素地があったからからだ、という思い付き的な話もできないことはない。
日本は中世の長期間(室町~安土桃山)朝廷も幕府も弱体化した分権時代を経験し、江戸期はだいぶ中央集権的性質が強まったものの藩という地方分権体制は残っていたので、すべての人事権を皇帝が握っていた中国的な専制君主とはだいぶ離れた統治体制で、その点で民主主義へのシフトは容易だった感もある
引用ツイート
タニシ@Hkrnsiwc
現代の政治指導者の判断すら左右する、人間の深層心理に巣くう文化的情報遺伝子の存在に戦慄する。中華思想もおそらく同じ類いのものだし、中国が日本を見る視点もこの通りなのだろうなと思う。 twitter.com/karizo2022/sta…
仮蔵@karizo2022
ミームの戦争:
🇷🇺が占領地でロシア語教育を押し付けたり、教科書や学習指導要領で🇺🇦の歴史を消去しようとしたりしていますね。このような動きの文化的背景をよく説明する論考スレッドをご紹介。著者はKamil Galeev氏。脅威の110連ツイ。要約3つ投下してから本文投稿します。
https://twitter.com/kamilkazani/status/1516162437455654913
要約①:
・Z戦争の動機の本質はウクライナの「文化的ミームの消滅」
・「ロシア的=正常」「ウクライナ的=劣等」という発想でZ戦争は「善意」から始まった
・Z戦争の背景にノーベル文学賞詩人ブロツキーの存在
・ブロツキーの詩「ウクライナの独立について」はロシア社会で繰り返し取り上げられた
要約②:
・「ウクライナの独立について」の最後の2行に登場する2人の詩人プーシキンとシェフチェンコについて深堀
・プーシキンはロシア帝国主義の支持者(=ロシアのミーム)かつ、近代ロシア語を作った人物としてロシアの教科書に掲載
・シェフチェンコは帝国主義の批判者(=ウクライナのミーム)
要約③:
・中世ロシアにおける宗教的共同体としての「ロシア」を国民国家としての「ロシア」と混同して戦争を始めた馬鹿者がいる
・ウクライナの政治的思考は立憲的だった。皇帝の権力を制限し、責任を課そうとした。また司祭も選挙で選んでいた。
・ロシアのミームとウクライナのミームは相容れない
ミームの戦争:Z戦争が平和に終わらない理由 東欧の文化的背景をよく知らない欧米のアナリストの中には、Z戦争を偶発的なものと見なす人がいる。彼らは、ロシアの侵略はある種の「誤解」や「過ち」から生じたもので、交渉によって解決できると考えている。
それは希望的観測の教科書的な例だ。ルトワックのような高名なアナリストが、なぜ「戦争を続ける必要はない」と主張するのか?それは「彼」が戦争を継続する必要がないからだ。私は必要ない→誰も必要ない→平和的解決は可能である。しかしそんなことはありえない。
あなたは戦争を早急に止めたいかもしれないが、それはあなたが決めることではない。ウクライナに侵攻したロシアが決めることだ。動機はまだ残っている。プーチンやゼレンスキー、CSTOやNATO、シロビキやメールとは無関係に。政権間の戦争ではない。ミームの戦争だ。
Z戦の動機は、「安全保障」でも「同盟」でも「政治的所属」でもない。誤った文化的ミームを消滅させ、正しいものを押し付ける必要があるからだ。だからこそ、Z戦争は幅広い大衆の支持を得た。ロシア人はウクライナに対する全面戦争に簡単に同意したのだ。
傲慢に聞こえるかもしれないが、文化的背景を理解するためには、その国の言語でコンテンツを読む事が必要だ。ロシア語のコンテンツを読むアナリストは、通常、Z戦争は必然的と見ている。彼らはそれが起こることを予見していた。だが、そうでない人は、たいてい驚く。
Z戦争が起こったのは、そもそもロシアがウクライナの存在を受け入れなかったからだ。「ロシア」というのは、国家だけでなく、国民、特に文化的エリートのことだ。この戦争を準備したのは、無知な大衆ではなく、美化された文化エリートだったのだ。
彼らは、ウクライナは劣った文化や歴史を持つ偽りの国であると主張していた。言い換えれば「ウクライナ人が劣ったミームに固執している」というのだ。最悪なのは、優れたロシアのミームを受け入れてアップグレードできたはずなのに、それを拒否していることだ。
ロシアのウクライナ侵攻は、文化的文脈でのみ理解できる。クレムリンは戦争を計画したのではない。ウクライナを「解放」し正しいミームを押し付けることによって救おうとしたのだ。だがウクライナ人は救われることを望んでいなかった。こうして特別作戦が戦争に変わった
クレムリンの最初の思い込みは「ウクライナは救いようがない」だった。「ナチス」に支配された、劣ったロシア人の国だ。 国民を洗脳して服従させている。だが、ウクライナ人は密かに望んでいる。「ウクライナ」という茶番をやめ、普通の人間(=ロシア人)になることを
Z侵攻の論理を理解するためには、「ロシア的=正常」であることを念頭に置く必要がある。ロシア化すると正常になるのだ。Z侵攻は、贈り物、あるいは人道的な作戦として計画された。だから、ウクライナの抵抗は衝撃的なのだ。彼らは正常になることを望んでいない。
ウクライナ人の不義理とロシア化拒絶が、ロシア軍による暴力の急激なエスカレーションを説明している。ムィコラーイウへの空爆を見よ。私は、ロシアが戦勝記念日の5月9日までに、ウクライナの都市に対して戦術核兵器を使用しても驚かない。
約58万人のフォロワーを持つ「全ロシアテレビ・ラジオ放送局」の特派員のコメント: 「マリウポリ。黙示録の地区。全世界に見せるべき? そうだ。キーウ、リヴィウ、ポルタヴァ、テルノピリに見せよう:都市が降伏しなければ、粉砕されるのだ」
クレムリンに近いこの男とか: 「ズドルブニウが爆撃されても気の毒に思わない。 彼らはロシア国家と契約解除したのだ。再びロシアと契約するには、ウクライナは大きな代償を払うことになる。 ハリコフ、キーウ、ドニプロ、リウネ、イバノフランコフスクも同じだ」
公平を期すと、ロシアは常に、倫理的・法的規範を極端に無視して戦ってきた。ロシアがシリアのスンニ派のような非白人・非キリスト教徒に対して全面戦争を始めた時は、誰も気にしなかった(写真はトリミングしたので、もっとひどい)。だが、なぜウクライナなのか?
ロシアの詩人ブロツキーから話を始めよう。彼は欧米では比較的有名だ。ノーベル文学賞を受賞したこともある。だが、彼の文化的な影響力は、おそらく西洋では過小評価されている。ブロツキーは単なる詩人ではない。ロシア文学の規範となる「最後の」偉大な詩人だ。
ブロツキーはソ連当局の迫害を受け、米国に移住した。彼は、多くの賞や名誉、賞を授与された。さらにノーベル賞を受賞し、米国の桂冠詩人にもなった。彼の文学的才能と被害者としての記録の両方が、アメリカでのキャリアに大いに役立ったのだ。
1992年にパロアルトでブロツキーが読んだ詩「ウクライナの独立について」。米国で書かれ出版されたものだが、この詩は最も広く引用され、ソ連崩壊後のロシアの政治的マニフェストに大きな影響を与えた。それは「超」ナショナリストな内容だ。
ブロツキーの「ウクライナの独立について」の翻訳をどれにしようか?私はこれを選んだ。直訳ではなく、ずっといい。直訳では文化的背景の異なる読者には最適とは言えないが、これなら理解できる。
参考:ブロツキーの「ウクライナの独立について」の翻訳
この詩の中でブロツキーは、ウクライナ人(蔑称は「ホホール人」)に対して複数のメッセージを送っている。
ブロツキーはこの詩を「危険な詩」と呼んだ。しかし、それはウクライナに対するロシア社会の多くの態度を正しく反映していた。2014年以降、この詩は特に重要な意味を持つようになり、メディアやロシア議会紙などの当局によって繰り返し宣伝された。
しかし、私がもっと興味深いと思うのは、ブロツキーの詩の最後の2行だ。文字通り、ウクライナ人に向かって言っているのだ。 「死ぬ間際になって、死に床を掻くとき、タラスのたわごとではなく、アレクサンドルの台詞を喘ぐだろう」 どういう意味なのだろう?
二人はそれぞれウクライナとロシアの国民的詩人だ。 ウクライナ人は死の床で、ウクライナの強気なタラス・シェフチェンコではなく、ロシアの天才アレクサンドル・プーシキンの言葉を引用する。なぜなら、「ウクライナ人」はロシア人であり、ウクライナは茶番だからだ。
ここで興味深いのは、ロシア人のウクライナ人に対する優位性ということではない。面白いのは文学、特に詩の政治化だ。どの詩人を賞賛し引用するかは、政治的に中立ではなく、「最も」重要な政治的問題なのだ。でもなぜ?
ロシアが文学中心の国であることは周知の事実だ。だが、その文学に関する西洋の知識は非常に限定的だ。博学な平均的アングロ人は、どのロシア人作家の名前を挙げられるか?トルストイ、ドストフエフスキー、チェーホフくらいだ。彼らは翻訳可能な散文を創出したので、西側で有名だ
翻訳不可能な作家は無視される。レーニンのお気に入りの作家サルトィコフ=シチェドリンのような散文作家だ。 「この文明は、酔っぱらいの暴動と勘違いされ、ウルス・クグシ・キルディバエフの町長に破壊された」 - 長い歴史の解説なしに、どうやってこれを訳すのか?
ロシア文学で最も見落とされているのは、もちろん詩だ。ロシアは文学中心ではなく、詩が中心なのだ。詩はロシアの神聖な文学の正典の真ん中に位置している。しかし、ほとんど翻訳されないため、西洋ではあまり知られていない。
ロシア史上、最も影響力のある作家は誰か?ロシアへの影響を考えるなら、アレクサンドル・プーシキンだろう。彼はまさしく「我々のすべて」(Наше все)と呼ばれている。実際、ロシアの言語と文学は、たった一人の作家の遺産に大きく支えられている。
理論的にはロシアには古代文学の伝統がある。だが、実際には、その「主要な」部分は、プーシキンから始まっている。それ以前に書かれたものは、普通の教育を受けたロシア人には歴史的な遺物としてしか読めない。プーシキン以後の文学だけが、皮肉なく読めるのだ。
なぜプーシキンが重要なのか?ロシアの子供たちは皆、学校で「プーシキンがロシア語を作った」と教わる。わかるだろうか?子供もわからない。だから、このプーシキンとロシア語に関する当たり前のことが、ネットで大変馬鹿にされている。いったいどういうことだろう?
ベネディクト・アンダーソンは、この問いに鍵を与えている。アンダーソンによれば、近代文学言語は人工的なものである。近代国家とその均質化政策、そして印刷機の二重の効果によって生み出された。それ以前に存在していたものは、まったく異なる機能を発揮したのだ。
近代国家や印刷機が登場する前の前近代世界は、文学的な言語を知らなかった。知っていたのは:
1)口頭言語(音韻ベース)
2)神聖言語(記号ベース)
例えばヨーロッパでは、メルキッシェ方言は口頭言語、ラテン語は神聖言語であった。
まず、口頭言語から始めよう。前近代の世界に文学的な言語がなかったからと言って人々が会話できなかったわけではない。前近代の世界にはたくさんの方言があり、その中には現代の言語に似たものもある。しかし、現代の言語とは異なり、口頭言語は標準化されていない。
今日、我々はフランス語、スペイン語、英語などの言語を話す。しかし、当時は実にさまざまなフランス語、スペイン語、英語があり、それらの話者は「会話の中でお互いを理解することが難しいか、あるいは不可能かもしれなかった」それはまさに自然の摂理だ。
実際、これらの方言をフランス語やスペイン語と呼ぶのは不正確かもしれない。言語学的な地図は政治的な地図と一致しない。例えば、密接に関連するカタルーニャ - オック語の方言の地域は、スペインからフランスまで、新旧のあらゆる政治的境界線を越えて広がっていた。
前近代の世界は、言語的多様性を含む多様性の世界であった。一般に信じられているのとは逆に、多様性こそが自然であり、均質性こそが人為的なのだ。相互に理解できない言語が大量に存在すること、それは自然の摂理だ。一つの文学的言語は自然でない。
方言が前近代世界を個別の地域に分割していたとすれば、神聖言語はそれを真に広域な共同体に統合していた。例えば、ヨーロッパはロマンス語、ゲルマン語、スラブ語、その他の方言の地域に分かれていたが、1つの神聖言語であるラテン語によって統合されていた。
かつての広域共同体は、記号的システムを中心に構築された神聖な共同体だった。ヨーロッパではラテン語、イスラム圏ではコーラン・アラビア語、中国では漢字。どの神聖な共同体も、それ自体が世界であり、その神聖言語によって真実を独占していると認識していた。
ハンチントンが世界をいくつかの文明に分けたのは有名な話だ。しかし、彼の分類は恣意的に見える。もっと優れた、より客観的なアンダーソン流のパラダイムを採用すればどうだろうか。同じ神聖言語を使う人々が、一つの神聖な共同体(=文明)を構成しているとしたら。
それぞれの神聖な共同体の中で、人々は複数の方言で会話していた。神聖言語は記号の共同体であり、方言は音の共同体だった。神聖言語は大衆にとって理解不能でなければならず、方言は理解可能でなければならない。最後に、神聖言語は方言とは異なり、非任意的だった。
神聖言語は非任意的であった。それは現実の反映ではなく、真実の発露であった。それゆえ、聖典を方言に翻訳して腐敗させることは禁じられていた。それは、大衆にとって意味不明であることを意味する。しかし、それはバグというよりは仕様であった。
イスラム教のウンマの記号的性質を考えてみよう。 「マギンダナオ族とベルベル人が出会ったとき、互いの言語を知らず、口頭で会話は不可能であっても、互いの書記言語は理解できた。なぜなら、彼らが共有する聖典は古典アラビア語でしか存在しないからである」
この点で、クアルーン・アラビア語、ラテン語、サンスクリット語は、漢字に非常によく似た機能を果たしていた。彼らはすべて、音ではなく、記号の大域的共同体を形成し、この共同体は、客観的な真理を独占していた。現代の数学用語は、この古い伝統を引き継いでいる。
世界を分割する局所的な方言と、世界を大域的な共同体に統合する神聖言語という二項対立は、前近代の世界について多くのことを説明している。大域と局所、秘伝と公開、高い地位と低い地位、記号ベースと音ベース。
時代の流れとともに、古い書記言語を持つ聖なる共同体の結束は、二つの要因によって分断された。一つは、画期的な情報技術である印刷機である。もう一つは、もっと複雑で理解されていない、近代的な中央集権国家の発展である。
印刷機が導入される以前から、中央集権的な政治(後に国民国家となる)が、行政上の方言を作っていた。しかし、あまりに多くの方言が混在していると運用が面倒だ。一つを選んで、その地位を高める方がずっと簡単だった。
例えば、フランスには多くの方言があるが、それらはすべてラテン語の訛りと考えられていた。そのうちのひとつであるパリの方言が、公権力の言語となった。ラテン語のように真実を表す言語にはならなかったが、それは権力の言語となった。それで十分だったのだ。
言語の均質化には印刷機が大きな役割を果たした。それは、方言の運命を左右する大きな分岐点だった。印刷された方言は、地位が上がり、しばしば存続した。一方、あまり印刷されなかった方言は、次第に衰退していった。
2つの要因の組み合せ:国家の中央集権化と印刷機によって、神聖な共同体は断片化され、しばしば破壊された。ある意味で、世界は脱グローバル化した。それまで相互に連結していた神聖な空間は、多くの領土的な国家文化に分断されたのである。
国家の中央集権化と印刷機は、世界を大きく均質化させる方言の分岐を生み出した。国家によって採用され、印刷によって伝播された方言は、その地位と適用可能性を大きく高めていった。一方、そうでないものは廃れていった。
行政の中央集権化と印刷機の導入が、方言の分岐の引き金となった。しかし、それを完成させたのは、大衆学校教育であった。中央集権的で、国家が設計した統一カリキュラムに沿った学校教育は、文化的統一の手段として過小評価されている。
大衆学校教育の普及に伴い、フランスの言語地図がどう変化したか見てみよう。1830年代に国土の大部分を占めていた非フランス語圏(濃い灰色)は、1950年にはわずかな孤立した地域にまで縮小した。カリキュラムに含まれるミームは急増し、除外されたミームは消滅した。
方言の分岐は、国民的天才、特に国民的詩人という現象を説明する。多くの文学文化が国民的大詩人を中心にしていることにお気づきだろうか?なぜか?ここでいう「偉大な」というのは「影響力が強い」という意味だ。そして「影響力が強い」ことが標準化のモデルになる。
偉大な詩人=国民的カリキュラムの詩人。カリキュラムは文化空間を均質化し、モノカルチャーを生み出す。カリキュラムは、方言の分岐を完遂させる。したがって、どの詩人がカリキュラムに含まれ、どの詩人が含まれないかは、政治的に非常に重要な問題である。
続く、、、、
露探【円谷猪四郎】@karategin
先月右派議員が「iphoneに勝てる」と宣伝して話題になった露のスマホAYYA T1、この1〜3月の間に370個しか売れていなかったことが判明。将来的に国産「スキタイ」チップ+OSアヴローラ搭載機を出すという計画もこれでは無理なんじゃないかという話に
https://kommersant.ru/doc/5326891
rusbureau@rusbureau
モスクワ州知事の家族保有の大邸宅の火事、ブリャンスクの鉄道の継電器に仕掛けられた爆発物、ブリャンスクやベルゴロド、ヴェルクニャヤ・トゥラで相次ぐ鉄道脱線、モルドヴィアの入隊事務所の火炎瓶事件、ベルゴロドの携帯無線塔の放火、などなど、けっこう不穏な事件が増えてる
当局は大体事故とかにしてるが、一部はワケの分からんグループが犯行声明を出してる
あと、不穏とかいうのではないが、トラックの運転手さんのストライキとか、道路建設工事の人たちのストライキもわりと起こってるもよう。こういうのはけっこう重要なのでは、と思う
因幡のよっちゃん(Yoshihiro Inaba)(CV 田所あずさ)@japanesepatrio6
ジャベリンで戦車は撃破できても、戦車の役割をジャベリンが担えるわけではないので...いくら地対空ミサイルが発達したからといって航空機が不要になるわけではないし、地対艦ミサイルがあるからといって軍艦がいらなくなるわけでもないでしょう。それぞれ役割があるわけですから。
因幡のよっちゃん(Yoshihiro Inaba)(CV 田所あずさ)@japanesepatrio6
ウクライナによる自衛をしてアメリカによる代理戦争と表現しているのは意味不明で、ロシアが違法な軍事侵攻に踏み切り、それに対してウクライナは合法な自衛権の行使を行っており、アメリカは自らの意思に基づき抵抗しているウクライナを支援しているだけであって、これのどこが代理戦争なんですかぬ。
☪常岡浩介☪元容疑者@shamilsh
ウクライナ侵略は代理戦争です!ロシアの徴兵された若い衆が戦いたくもないのに、偏執狂プーチンの代理で戦わされてる。本当に、史上最悪に卑怯な
引用ツイート
伊勢崎賢治@isezakikenji · 4月16日
とにかく、この戦争をできるだけ早期に”停戦”させるアメリカの責任と役割をボヤかさないため、”代理戦争”であること強調しなきゃね。それも史上最悪に卑怯な。
フィッシャー海軍卿⚓️@Fishre03240156
やっぱ時代はプー×マクなんやね
ポーランドボールbot@polandball_bot
仏VS独
【解説】
「くそ!次は目にモノ見せてやる!」
→「先に塹壕掘れよ!」
→「今度は大丈夫。ドイツに吠え面かかせてやる」
マジノ線を用いても勝てなかった仏はいつ勝てるのか?