『山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁』武漢への日本支援物資に貼られた文字とは、、HSK事務局

 「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」(地域や国が異なっても、風月の営みは同じ空の下でつながっている。この袈裟を僧に喜捨し、ともに来世での縁を結びましょう)。

 鑑真の伝記「唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)」には、この詩が縫い付けられた千枚の袈裟の話に鑑真が心を動かされ、来日を決めたことが記されている。

>知らんかったな。恥ずかしながら。

こういうのをさっと書く、教養だね。

 

よくよく写真を見ると、日本で中国語試験を行うHSKの事務局が湖北高校へ支援物資を送った箱に書かれていたのだね。安倍首相がチャーター機で一緒に送った政府支援物資に書いたわけではなかったわけだ。一緒に送ったものだろうが。差出人が政府ではなかった、ちと勘違いしていたわい。外務省にそういう人はいないのだろう。

 

戦後すっかりアメリカ一辺倒でしたが、明治維新までは中国べったりやったからなぁ。思い出させるよ。

------------------------------------------------------------

和泉守兼定@netsensor1
これ書いた人も受け取り読み解いた人も凄い。今回奈良で旅行した中国人から感染した人が最初に出たけど、中国では唐招提寺に訪れるツアーが人気らしい。
引用ツイート
毛丹青@maodanqing
武漢への日本支援物資に貼られた文字は中国で話題になっている。天宝元年、日本僧の栄叡と普照が鑑真のもとを訪れ、受戒システムがない日本仏教を救うために誰かを派遣してほしいと懇願したと同時に仏国を目指した長屋王が唐に贈った袈裟千枚の話を聞く。

「山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁」。
 英訳:

Across the mountains,streams and foreign lands, 

The Sun and moon, all beneath the same sky.

 Hope is placed in children of the Buddha, 

To create the future together as one.

4月3日に中国の音楽番組当打之年、我是歌手2020の第9期にて、この漢詩を取り上げていたな。

出演している日本人歌手MISIAへ感謝を述べていたよ。 

中国では、広まっているのかもしれないな。

>もしかして、漢詩をつけて援助してきた国は日本だけだったのか? 周辺諸国を中国は侵略ばかりしてきたし、乗っ取られもしたからな。そんな気の利いた漢詩に中国人らは驚いたのかな?

MISIA米希亚-❷ 第9期【動画】歌手・当打之年 湖南衛星放送2020-04-04

 

新型コロナウィルス肺炎の感染拡大で中国各地から武漢への支援が続いている中、『詩経』の一文が注目されるようになった。日本からの支援物資にも貼られた。「岂曰无衣、与子同袍」。邦訳で「誰が服がないっていうんだ、諸君と同じ服を着ればいいのさ」というが、「みんなで一緒に闘うぞ」とのことだ。

Macleod/マクラウド@macleod1997
疫病蔓延するこの混迷の時代に作られる大仏がガンダムだとは…

Z河早駿代@ゲームお休み中@kawahaya
開眼法要とかやってほしいw

>笑ってもうたわい。

奈良の大仏も疫病流行る時代に行われたのでしたなぁ、、、

聖武天皇が位に付いていた8世紀前半、すなわち天平時代の日本は決して安定した状況にはなかった。天平9年(737年)には、当時の政治の中枢にいた藤原武智麻呂・房前・宇合・麻呂の四兄弟が、天然痘(疫病)の大流行により相次いで死去した。そのほかにも、天平時代は例年旱魃・飢饉が続き、天平6年(734年)には大地震で大きな被害があり、国分寺建立の詔の出る前年の天平12年(740年)には九州で藤原広嗣の乱が発生するなど、社会不安にさらされた時代であった。聖武による国分寺の建立、東大寺大仏の造立には、こうした社会不安を取り除き、国を安定させたいという願いが背景にあったものと推測されている。

岡沢 秋(maat)@Aki_Okazawa·2月1日
ここまでの流れ
新型肺炎の蔓延防止のため、春日大社が悪疫退散祈願
・「神頼みかよ!」とイキる人が現れる
・神社に神頼み以外の何をしろと…とツッコミが入る
・歴史マニアが「おっ、なら神木担いで強訴行く?」「ちょうど上皇おるしな」と盛り上がる ←今ココ

アミ@suwatanabe
長崎県は、昔から大陸や半島の玄関口で、天然痘をはじめとする感染症の侵入経路だったから、神社では疫病退散の神事が古くから行われていましたね。

------------------------------------------------------------

『山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁』
山川、域を異にすれども、風月、天を同じゅうす。
     諸の仏子に寄せて、共に来縁を結ばん。

天宝元年(742)10月、日本僧の栄叡と普照が鑑真のもとを訪れ
正式な受戒システムがない日本仏教を救うため、誰かを派遣して
ほしいと懇願されたおり、話を聞き終えた鑑真は月の話に
『唐大和上東征伝』に載っております。
”「聞くならく、日本国の長屋王、仏法を崇敬し、
 千の袈裟を造り来りてこの国の大徳衆僧に施す。
 その袈裟の縁の上に四句を繍着していわく
 『山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁』と。
 此をもって思量するに、誠にこれ仏法興隆し有縁の国なり”と

5回目にして日本に来られた鑑真和上、でも去ること26年前に
長屋王の変にて、藤原氏との権力闘争に敗れ亡くなられた
仏国を目指した長屋王、唐に贈られた袈裟千枚の話は仏心篤い
エピソードに。そして来日されたその後の鑑真和上も、
授戒を与えた後は、冷遇され唐招提寺へと・・・
勝った?藤原氏光明子立后されて住まれた地はなんと
長屋王邸跡で、1986年、奈良市二条大路南でデパートの建設に
ともなう発掘調査で11万点以上の木簡が発見されました。
木簡の中には多くの「長屋王」の字が見られることより、
そこが長屋王の邸宅であったことが判明しています。

平城宮跡出土の木簡はこれまで、2875点が重要文化財指定を
受けており、去る9月15日、新たに309点の木簡を加えた5件
計3184点の木簡が「平城宮跡出土木簡」として国宝に指定され、
木簡としては初の国宝指定となります。

鑑真決意の袈裟、中国の寺へ贈る 遣唐使1300年の縁

宮崎亮

中国・唐の高僧、鑑真(688~763)が創建した奈良・唐招提寺の西山明彦(みょうげん)長老(66)が12日、中国江蘇省揚州市にある鑑真ゆかりの大明寺(だいめいじ)を訪れ、袈裟(けさ)を贈る。唐招提寺が6日発表した。天武天皇の孫、長屋王が唐の僧に贈った千枚の袈裟に縫い付けられた詩が、鑑真に来日を決意させた故事にちなんだ。

 「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」(地域や国が異なっても、風月の営みは同じ空の下でつながっている。この袈裟を僧に喜捨し、ともに来世での縁を結びましょう)。鑑真の伝記「唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)」には、この詩が縫い付けられた千枚の袈裟の話に鑑真が心を動かされ、来日を決めたことが記されている。

 寺によると、袈裟は阿倍仲麻呂らが派遣された717年の遣唐使に託されたとみられる。今年でちょうど1300年を迎えるのを記念し、寺が同じ詩を縫い付けた袈裟を贈ることにした。今回は20枚、来年6月までに200枚を贈る予定だ。

 西山長老は「鑑真和上の思いは、1300年を経て伝わっている。再び和上の国に袈裟をお贈りし、仏縁を結びたい」と話す。(宮崎亮)

>2月4日にはNHKも記事にしたようだ。

支援物資に中国で感謝の声 鑑真に贈った漢詩の引用も話題に

新型肺炎

中国で新型のコロナウイルスの感染拡大が続く中、日本ではマスクなどを送る支援の輪が広がっていて、中国では感謝の声が相次いでいます。

中国国内では、新型のコロナウイルスの感染拡大によって医薬品やマスクなどの医療物資が十分に確保できていない状態が続いていて、日本では大分市が友好都市の湖北省武漢市に、秋田県由利本荘市が友好都市の江蘇省無錫市にマスクや防護服などを送り、支援の輪が広がっています。

このうち中国語の検定試験を日本で主催する東京の日本青少年育成協会は先月、湖北省を中心にマスク1万枚余りや体温計を送りました。

その際支援物資に天武天皇の孫、長屋王が中国の鑑真に贈った1000枚の「けさ」に刺しゅうされていたとされる漢詩の一部を書き込みました。

漢詩には「山や川、国土は異なろうとも風も月も同じ天の下でつながっている」という意味が込められているということで、この詩に心を動かされた鑑真が日本行きを決意し、のちに奈良市唐招提寺を開いたと言われています。

日本青少年育成協会の林隆樹理事は「詩に込められた脈々と続く日本と中国の交流の思いを込め、場所が違っても同じ仲間だぞというよう気持ちを伝えたいと思いました」と話しています。
この団体では今週中にもマスク1万枚や体温計を再び送ることにしています。

中国版ツイッター、ウェイボー上では漢詩が書き込まれた支援物資の写真に対し、30万人を超える人たちが賛同していて、日本の取り組みに感謝する声が相次いでいます。