ノーベル文学賞 大江健三郎さん 死去 88歳 反核を訴えながら中国の核武装を賛美

ワイは安倍公房派で、大江派ではなかったな。

 

平和主義をこじらせておかしな方向に進んでいっているし。

マスゴミがよいしょするので、余計おかしくなったかな。

今じゃしっかり後輩作家たちが反日平和主義を主張しているしなぁ。

>>時代や環境の変化についていけてなかったのでは。

 

今のColabo問題や女性支援問題、共産党を見るにつけ、安倍公房の一文を思い出すよ。「弱者への愛には常に殺意が込められている」

 

Nobel Prize winner Kenzaburo Oe — known for his books on pacifism and his disabled son — died on March 3 in Japan , a statement released by publisher Kodansha said.

>>3月3日に亡くなったのか。今日は月曜日の13日、10日前やん。

 

Oe's most notable works were inspired by his son who was born in 1963 with a cranial deformity that resulted in a mental disability.

His book "A Personal Matter" was published a year after the birth in which the author wrote about his struggles with accepting his son's disability. 

>>頭蓋骨奇形による精神障害児と書くね、DW. 日本のマスメディアはそこまで書かないけどな。

 

>>どういう人が彼を持ち上げるか見ていれば、あっち系の人たちがぞろぞろ出てくるな。類は友を呼ぶか。

大江氏の死を、マスゴミはこれから滅茶苦茶利用しまくるだろうな。

都合よく利用しまくるだろう、本人もそうだったかもしれんが。

味がしなくなるまで利用しそうだな。特集一杯でそうだけど、、、視聴率はないし、売れないのですぐしぼむだろうけど。

>>ノーベル賞作家が、、って、すごく権威を利用するし。

 

>>過去の大江氏の発言を取り上げる百田尚樹氏。 大江氏がいかに反省しないまま亡くなったかがよくわかるな。


 

剣kenn@hskenncutter·3月14日
池澤夏樹大江健三郎追悼寄稿文が朝日新聞36面に載ってるが、あまりに大江に心酔しすぎて「おおえ・けんざぶろう  なんと美しい名前だろう」と故人の名前を称賛するというキモさ全開のヤベー文章になっている。

 

フランス大使館🇫🇷🇪🇺@ambafrancejp_jp
1994年にノーベル文学賞を受賞した作家の大江健三郎氏が、88歳で亡くなりました。フランスと大江氏の縁は深く、東京大学でフランス文学を学んだ大江氏は、2002年にはレジオンドヌール勲章を受章。2012年のパリ国際ブックフェアに参加されました。フランス大使館は心より哀悼の意を表します。

>>フランス大使館はかつて福島瑞穂死刑廃止で称賛していたからな。

あ〜る菊池誠@kikumaco·6月25日
福島瑞穂放射能問題への態度は人権侵害ではないんですかね、フランス的には
引用ツイート
フランス大使館@ambafrancejp_jp · 6月25日
社会民主党党首福島瑞穂氏は、人権擁護への取り組みが評価されフィリップ・セトン駐日大使から国家功労勲章シュヴァリエを伝達されました。死刑廃止のための闘いは、福島氏の代表的な取り組みのうちの一つです。
詳細:https://jp.ambafrance.org/article16962

  

森泉岳土@moriizumii
2011年「さようなら原発」集会でスピーチされている大江健三郎さんのこの写真。これから向かっていく日本の方向を見られたようで涙が出たのを覚えている。真摯で、気品があって、知恵があり、手作りで。実際はぜんぜん違う方向へ進んでしまっているけど。撮影は山本宗補さん。

望月衣塑子@ISOKO_MOCHIZUKI
心よりお悔やみ申し上げます。大江さんの懸念がいま現実に
大江健三郎さん「9条を守ること、平和を願うことが生き方の根本。次の世代につなぎたい」生前訴え本紙に
集団的自衛権を行使できることを日本の態度とするなら、米国が起こしうる軍事行動に踏み止まる建前失う」

毎日新聞写真部@mainichiphoto
1994年にノーベル文学賞を受賞した作家の #大江健三郎 さんが、今月3日に老衰のため88歳で亡くなりました。写真は2005年4月、自宅でのインタビューの合間にくつろぐ大江健三郎さんと、息子で作曲家の #大江光 さんです。
写真特集→http://bit.ly/3YPWNEQ

しんぶん赤旗日曜版🕊@nitiyoutwitt
大江健三郎さんがずっと関心を持ち続けてきたいう、原爆を出発点にした核兵器放射性物質の問題と沖縄の課題が解決される方向。自らを定義したような「意志における楽観主義の人間」であることが、今また多くの市民に問われているのかもしれません。謹んでお悔やみ申し上げます。   

堀 潤 JUN HORI@8bit_HORIJUN
高校生の頃、父親の書棚にあった大江健三郎さんの「死者の奢り」を読んで、その閉塞感に共感した。ノーベル文学賞を受賞した少し後だった。不況の真っ只中だった。大学生の頃「取り替え子(チェンジリング)」が発表された。池袋でサイン会があると聞き、僕の言葉を伝えたくて足を運んだ。小声で早口で…

加藤周一文庫@kato_shuichi
大江健三郎先生の御逝去の報に接しました。大江健三郎先生には加藤周一文庫に心を砕いていただき、2016年の加藤周一文庫設立記念の御講演をお引き受けくださいました。これが大江健三郎先生最期の御講演になりました。大江健三郎先生の御冥福をお祈り申し上げます。  

公式『さらば雑司ヶ谷』@byezoushigaya
僕「画数の多い名前ですいません!」
大江健三郎「ハハハ」
断然初期が好きでした。あの世で好敵手慎太郎をぶん殴って下さい。

東洲斎堕落@tousyusaidaraku
昨日久々に恩師と呑みに行き、幅の広い会話を大いに楽しんできました。
その時に大江健三郎氏の話もしていたので驚きです。
お悔やみを申し上げます。

成相裕幸@ainari1984
大江健三郎氏ご逝去。学生時代から長らく読み続けてきました。「死者の奢り」「個人的な体験」「万延元年のフットボール」はじめ後世に語り継がれる名作をいくつも残しました。個人的にサイン会にもいきました。深く深くご冥福をお祈りいたします。

   


本ノ猪@honnoinosisi555
銃を構える大江健三郎(当時、23歳)。
(参照:『林忠彦写真集 日本の作家』小学館、P121)

マライ・メントライン@職業はドイツ人@marei_de_pon
ノーベル文学賞 大江健三郎さん 死去 88歳】
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230313/k10014006861000.html
いま「大江健三郎」で検索しようとすると、検索候補のトップに「死因」と出てくるのが実に時代を感じさせます。ご冥福をお祈りします。
シブヤメグミ@megg637
この呟きにリアクションがあって何だ?と思ったら大江健三郎の訃報。この時、「自分にしか育てられない自分の木をしっかり育ててください。その木を守り、守られる。この美しい営みを捨てないでください」って最後に言ってくれた。中身もさることながら、紡がれた言葉の凛々しさにも感動し脳が震えた。
引用ツイート
シブヤメグミ@megg637·2020年11月8日
中学生の時に大江健三郎に質問する機会があって、「なんで学校に行かないといけないんですか?」って聞いたら、「自分のことを他者にしっかりと伝えるための、自分の言葉を養うためだ」ってことを丁寧に説明してもらえたから、バンギャ最前線のこんな私なのに大学までいったんだと思います。 twitter.com/manaview/statu…

碇本学@manavie·2020年11月8日
自分の言葉で話すためには教育と思想が必要なんだよ、誰にも開かれたものとしてないといけないものがこの国にはない。

 

カブちゃん@kabukun77
九条の会の発起人の一人であった大江健三郎さんが亡くなりました。日本を代表する知性であった大江さん、心からご冥福をお祈りいたします。残された私たちは九条改憲を何としても阻止します。

ぬるゆ《奴留湯》ホルツバウワー@nuruhoru
大江健三郎が死んだ
彼はかつて防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、ひとつの恥辱だと思っている」と述べた
10歳以降まんまと日本の平和を享受し、平和を保つ仕事を、その努力を侮辱しながら死んだわけだ。死ねば皆仏とよく言うが…俺は冥福を祈らない。

  作品はきっと素晴らしいのだとは思いますし、大江健三郎の著作を読んで楽しんだ人を否定するつもりもありませんが、 どうしても許せないこともあり……私は一生読むことはないでしょう

しわすみ@s_w_s_m
大江健三郎が3月3日に他界してたそうで。「核実験成功のキノコ雲を見守る中国の若い研究者や労働者の喜びの表情が、いかにも美しく感動的だった」中国の核兵器を賛美しながら非武装平和や反核を語れる史上有数の分厚い面の皮が偉大な男だった

  それを指摘することで鞭を打つ形になると、つまり中国の核を賛美した大江健三郎の過去は左派にとっても致命的な罪扱いなのか、これは驚いた。
反核を訴えながら中国の核武装を賛美するのは恥ずべきダブスタだと認識した上で大江批判を避け、あまつさえ平和運動家として持て囃していたのか。すごいな。
引用ツイート
ドーラン@4S9SDTfuW7Yia5H
さすが、右翼は死者に鞭打つのがお家芸だね。

 

>>アベガーと死者に鞭打っていたのでは?

Japan's Nobel-winning novelist Kenzaburo Oe dies

2023.03.13

Japanese pacifist and anti-nuclear novelist Kenzaburo Oe died at the age of 88. He was the second Japanese writer to win a Nobel Prize for literature.

 日本の平和主義者で反核小説家の大江健三郎が 88 歳で亡くなりました。ノーベル文学賞を受賞した 2 人目の日本人作家です。

 

Nobel Prize winner Kenzaburo Oe — known for his books on pacifism and his disabled son — died on March 3 in Japan , a statement released by publisher Kodansha said.

In 1994, Oe became the second Japanese author who was Nobel Prize in Literature, after Kawabata Yasunari.

Family members have already held the funeral of the writer, who died of old age, the publisher confirmed.

 ノーベル賞受賞者である大江健三郎(平和主義と彼の障害のある息子に関する著書で知られる)が3月3日に日本で死去したと 講談社が発表した声明が発表された。

1994年、川端康成に続いて2人目の日本人ノーベル文学賞受賞者。

家族はすでに高齢で亡くなった作家の葬式を行っている、と出版社は確認した.

'Full of hope for a rebirth'

Born in the village of Shikoku, Oe was raised by his mother after his father died in World War II.

Japan's involvement in the Second World War left a lasting impact on Oe, who was ten years old at the end of the conflict. The democratic ideology of the American forces inspired him. According to Oe, he belonged to a generation of writers who were "deeply wounded" by the war "yet full of hope for a rebirth."

 Oe then went on to study French Literature at Tokyo University. There, he started to publish stories as a student. He won the Akutagawa Prize — an award for young authors — in 1958 for his fiction book "The Catch" where he wrote about an American pilot captured by Japanese villagers during the war.

In an interview in 2014, he said that he believed Japan held "some" responsibility in the war.

"This war, in which so many large powers were involved, caused great suffering for people all over the world... And it is a reality that within this immense war, nuclear weapons were created and used," he said.

He also turned down an award by the emperor — Japan's Order of Culture Award — in 1994. "I would not recognize any authority, any value, higher than democracy," he said, clarifying his stance to The New York Times.

Later in his life, the writer also arranged several anti-nuclear protests. He criticized the country's former Prime Minister Shinzo Abe on his attempts to revise the country's pacifist constitution.

  四国の村で生まれた大江は、第二次世界大戦で父親が亡くなった後、母親に育てられました。

第二次世界大戦への日本の関与は、終戦時に 10 歳だった大江に永続的な影響を残しました。米軍の民主主義イデオロギーが彼に影響を与えました。大江によれば、彼は戦争によって「深い傷を負った」が「再生への希望に満ちた」作家の世代に属していた.

その後、大江は東京大学でフランス文学を学びました。そこで、彼は学生として物語を出版し始めました。1958年、戦争中に日本の村人に捕らえられたアメリカ人パイロットについて書いた小説「The Catch」で、若い作家のための賞である芥川賞を受賞しました。

2014年のインタビューで、彼は日本が戦争で「何らかの」責任を負っていると信じている.

「非常に多くの大国が関与したこの戦争は、世界中の人々に多大な苦痛をもたらしました...そして、この巨大な戦争の中で核兵器が作成され、使用されたのは現実です」と彼は言いました。

彼はまた、 1994年に天皇から授与された日本の文化勲章を辞退しました。

晩年、作家はいくつかの反核抗議を手配しました。彼は安倍晋三前首相が平和憲法を改正しようとしていると批判した.

 

>>ウクライナノーベル賞作家も反原発で、TBSがよいしょしていたな。

An author with 'poetic force'

Oe's most notable works were inspired by his son who was born in 1963 with a cranial deformity that resulted in a mental disability.

His book "A Personal Matter" was published a year after the birth in which the author wrote about his struggles with accepting his son's disability. 

The Nobel committee described Oe as an author "who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today.”

aa/rc  (ap, Reuters, afp)

  大江の最も注目すべき作品は、1963 年に生まれた頭蓋奇形により精神障害を患った息子に触発されたものです。

彼の著書「A Personal Matter」は、息子の障害を受け入れるのに苦労したことを書いた生後 1 年に出版されました。 

ノーベル賞委員会は、大江を「詩的な力で想像上の世界を創造し、人生と神話が凝縮して今日の人間の苦境の当惑させるような絵を形成する作家」と表現した.

 

>>DWは凄いな。大江氏の息子を頭蓋奇形による精神障害児と書ききるな。

日本のマスメディアはそこまで書かんわな。

 

ノーベル文学賞 大江健三郎さん 死去 88歳

 訃報 NHK

現代日本を代表する小説家で、日本人として2人目のノーベル文学賞を受賞した、大江健三郎さんが、今月3日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。


大江さんは、1935年、現在の愛媛県内子町で生まれ、東京大学在学中に発表した作品「奇妙な仕事」で注目を集めたあと、1958年には「飼育」で芥川賞を受賞しました。
そのあとも数々の文学賞を受賞し、新しい世代の作家として、戦後の日本文学界をリードしました。
そして1994年、川端康成に続いて、日本人としては2人目となるノーベル文学賞を受賞しました。
核兵器や平和の問題に対しても、文学者の立場から向き合い、広島で取材した被爆者や医師の姿を描いた「ヒロシマ・ノート」は、ベストセラーになりました。

また、憲法改正に反対する「九条の会」や、脱原発を訴えるデモの呼びかけ人として名を連ねるなど、社会問題に対しても積極的に取り組み、発言を続けてきました。
講談社によりますと、大江さんは今月3日未明、老衰のため亡くなったということです。88歳でした。

谷川俊太郎さん「同じ世代で大きな仕事をした人 寂しいです」

大江健三郎さんと親交のあった詩人の谷川俊太郎さんは、「私は大江さんのデビュー作から読んでいました。私とは作風が違いますが、すごく勉強家で知識がたくさんある人でした。私と同じ世代の人で、大きな仕事をした人なので寂しいです」と話していました。

平野啓一郎さん「本当に残念 もっとお話ししたかった」

大江健三郎さんと親交のあった作家の平野啓一郎さんは、ツイッターに「本当に残念でなりません。大江さんが活躍されていた時代に、小説家としてデビューして、謦咳(けいがい)に接したことは、掛け替えのない経験でした。もっとお話ししたかったです」と投稿し、死を悼みました。

大江健三郎文庫」ことし夏に正式発足予定の中で

大江健三郎さんからあわせて1万枚を超える自筆原稿などの寄贈を受け、「大江健三郎文庫」の設立に向け準備を進めてきた、東京大学文学部の阿部賢一准教授は、「『大江健三郎文庫』の正式な発足をことしの夏に予定していた中、大江さんに完成した文庫を見せることができず、大変残念に思っている。文学や戦後社会のさまざまな様相を託してもらった思いを生かして、文庫をつくっていきたい」と話しています。

大江健三郎さん 生前に語った憲法と平和への思い

大江健三郎さんは、小説を書き始めた20代の頃から、「自分は戦後民主主義者である」として、自分自身の考え方の根底に日本国憲法があると発言してきました。

戦後70年を迎えた2015年10月のノーベル平和賞の発表日、大江さんは、東京の自宅でNHKのインタビューに応じ、憲法と平和への思いを語りました。

このうち、2004年に結成された憲法改正に反対する「九条の会」に発起人として加わった理由については、「平和憲法、民主主義の憲法というものを放棄し、改めて別の憲法をつくろうという動きが日本人の中にある。それを押しとどめ続けなければいけないと、その時考えました。それからずっと今現在に至るまで、その考え方を持っています」と語っていました。

そして、憲法9条がノーベル平和賞の候補として海外からも注目されたことについて、「私たちの憲法9条というものに非常に高い評価を与えてくださること、そして、日本がこの戦後70年、戦争をしなかったことが、どんなに大切かということを、はっきり認めようとする外国からの動きがあるということは、非常に心強いことだと思う。たとえ実際に賞をもらえなくても、人々の関心の中に日本の平和憲法というものがあるということだけでも、自分は非常に励まされることだと考えています」と語っていました。